2008年8月30日土曜日

恩師の系図

二宗先生の奥様にいただいた30年前の雑誌「芳泉」を読んでいます。
自分が在校していた頃の高校で行われた行事が色々とわかりましたが、その中で岡山大文学部の教授であった福田襄之介先生の特別講演に目がとまりました。福田先生は当時の大原利貞校長の旧制高校、大学の同級生で、その縁で我が校で講演をして下さったのでした。



この雑誌を読むまでの福田先生の記憶は、大学の教養過程で漢詩を習ったことが最も古い記憶でした。
その後、私は肝臓医者になりましたが、教室の小坂淳夫名誉教授が福田先生と旧制高校の同級生で劇症肝炎を命名するときに福田先生に相談した逸話を聞いた時には何か因縁めいたものを感じていましたが、まさか高校時代に福田先生の講演を拝聴していたとは夢にも思いませんでした。



雑誌には講演の一部が収録されていますが、確かに高校生には実感がわかない難しい話です。
30年経った今になって、今までの経験から共感を持って読むことができます。
こうしてみると、高校卒業後30年というのは高校時代に習ったことをそれまでの人生にオーバーラップさせて復習するのに絶好の機会のように思えてきました。



講演の内容については後日紹介したいと思います。



それにしても高校、大学、社会人の恩師がすべて同じ旧制高校の同級生だったとは。不思議な因縁を感じると共に、恩師の先生の言葉を読み返して人生の糧にしたいと思いました。



2008年8月28日木曜日

短歌を作ることの効用

3期生の同窓会に参加した際、3年の担任で16年前に亡くなられた二宗先生の思い出話となり、先生の霊前に同窓会の報告をしようと8/27にご自宅に伺いました。



奥様はお元気で、深夜まで長話をしました。今年は17回忌にあたり、先生の高校時代の思い出の品も少しずつ整理していきたいと話され、私たちを担任していただいた3年間に作成した短歌集3冊と当時発行されていた雑誌「芳泉」を形見分けとしていただいてきました。



1年生の歌集の冒頭には当時の大原利貞校長が序文を寄せています。



詩歌は散文に比して、歴史的に、また洋の東西にわたって高い地位に置かれた。
思うことを文にするのは容易ではないが、韻律に乗せて表現し、さらに言外に余韻を感ずるような詩歌を作るには、それぞれの国の「ことば」についての感覚や教養がなければ不可能である。
文を作るにも、彫心鏤骨の苦しみがあるが、詩歌に表現するには、それ以上の労をともなうものである。



同級生の短歌を読んでみると、そのみずみずしい感性に驚きを覚えます。
この感受性の強さこそ芳泉高校、ひいては日本の強みの源泉であったように思われます。
大原校長も指摘していますが、文章を書くよりも詩を作る方が数倍難しいものです。そしてその訓練を3年間行うことによって、単なる国語力だけでなく物を見る目が何倍も鋭くなったように思われます。



私の短歌は今読み返すと同級生の中では平均点以下の出来ではありますが、こういった訓練は今の仕事の中でも生きているように思います。



ちょうしん-るこつ 【彫心鏤骨】
心に彫りつけ骨に刻み込む意で、非常に苦心して詩文などを作り上げること。また、単にたいへんな苦労をすること。▽「彫心」は心に刻み込む意。「鏤骨」は骨に刻みつける意。大きな苦労のたとえ。「鏤」は「ろう」とも読む。「心こころに彫ほり骨ほねに鏤きざむ」と訓読する。



2008年8月18日月曜日

芳泉高校同窓会総会で支部活動報告をしてきました

8月16日にルネスホールで同窓会総会が開催され、支部会の活動報告をしてきました。



昨年度は9月、1月に講演会を開いたこと、6月に2期生の光延先生が芳泉高校出身者で初めて教授に就任されたことを報告してきました。



今回の総会は3期生の同窓会と合同でしたが、大変盛り上がっていました。会の詳細は以下のブログをご参照下さい。



http://hosen03.blog103.fc2.com/