2008年9月7日日曜日

岡部和倫先生、 ハーバード大学で講演

2期生の岡部和倫先生が ハーバード大学から招待されて、「SCIENCE OF THORACIC SURGERY」という会(10月3~4日、ボストン)で、胸膜中皮腫についてお話しされることになりました。



プログラムを添付しておきます。okabe.pdfをダウンロード



総説を読んでも、海外の研究者は大学や個人名でなく内容で文献を幅広く検索しているのに感心しますが、今回も渋い人選をしているなと感心しています。岡部先生、頑張ってきてくださいね。応援しています。



第2回岡山県肝炎医療従事者研修会「日常臨床における肝画像診断の基本と応用」

4期の則安先生が主導的立場で関わられている岡山県の肝炎対策事業の一環として第2回岡山県肝炎医療従事者研修会が2008年09月21日(日) 13:00~15:30に岡山コンベンションセンターで開催されます。



http://www.okayama.med.or.jp/lle/app/kouza?&MODE=detail&id=2550



今回は「日常臨床における肝画像診断の基本と応用」がテーマで、少人数グループに分かれての腹部エコー実地指導に3期の池田先生が指導者として参加されます。



超音波が初心者の先生も対象としていますので、ご興味のある方はご参加下さい。 



福田襄之介先生の講演記録

先日、ブログで紹介した福田襄之介先生の講演記録ですが、芳泉高校の承諾を得て、雑誌芳泉に掲載された文章すべてを公開できることとなりました。ご一読いただければ幸いです。



fukuda.pdfをダウンロード



福田襄之介先生略歴



大正4年6月、岡山市大安寺中町に生まれる。大野小、岡山一中、六高を経て、昭和19年東京大学文学部卒。昭和19年東大副手、21年岡山一中教諭、24年岡山大学法文学部講師、助教授、教授を経て46年法文学部長に就任。



中国文学専攻で、特に「中国字書史の研究」で前人未踏の分野を開拓して文学博士となる。





2008年9月1日月曜日

私の人生観(福田襄之介先生講演)の要約を載せます 

1976.11.9に岡山芳泉高校創立4周年記念として企画された講演「私の人生観(岡山大学教授 福田襄之介先生)」の要約を掲載します。



肝臓医者にとっては劇症肝炎の名付け親である福田先生の講演は特別な思いがありますが、この内容は現在、医師となっている芳医会会員全員にとって非常に重い内容と思いました。少なくとも私にとっては医学知識、技術の習得に重きを置いてきただけに、学術の中の「術」のみ磨いていたことを知って衝撃を受けました。



私にとっては高校卒業後30年目にこのような文章にめぐり会えたことは非常に幸運なことであるとともに今の時期こそ、高校時代に理解できなかったことを再勉強してしっかりと身に付け、後半生では福田先生が希望されているように、自分の適応性をフルに発揮して、社会のために尽くし、この世に生まれた価値があった生き方をしたいものです。



私の人生観 岡山大学教授 福田襄之介 (1976.11.9)

私の人生観 岡山大学教授 福田襄之介 
岡山芳泉高校創立4周年記念講演 1976.11.9



頭が悪くても諦めてはいけない。どこかいいところがあるんです。
どこかいいところを伸ばすというように気をつけることが、適応性を見いだしていくことの方法かと思うわけです。



勉強というのは何のためにやるのかというと、二つの目的があるとあると思うんですね。それを、私、学術という言葉で説明したいと思うんです。
「学」というのは人間形成、「術」というのは専門の学問。こういうように解釈するといいと思いますね。
で、日本の大学生は、人間形成の基礎になるところの「学」というものについて、おろそかにしとる訳でございます。
法律学であるとか、経済学であるとか、医学であるとか、こういうのはある専門の学問であって、むしろ「術」に属するんでございますね。テクニックっていいますのが「術」なんでございますね。
で、「術」ばかりに走ったんでは、スケールの大きな人間になれません。その根底には、「学」という人間を形成しているものがなけりゃいけない。
広く何にでも渡っていろいろなことを学ぶ、そして知識を豊富にすることが、修養、修身という身を修める人間形成の根幹になるということです。そうなりますと人間は物事に対する判断が誤らなくなるんです。
格物致知で、物事の知識を豊富にしておかなければいけない。皆さん方は、普通科の高校で何をやっとるかというと、人間形成をやっとる訳でございます。それから大学へ入って教養部でもう一度高校までの格物致知をまとめて、そこで大きなスケールの人間形成をやって、その上で専門の教育をやるわけでございます。



それから専門の知識を身につけるのに、私は最初に申しましたその人の適応性ということを十分考えて、専門の方に進まなければいけない。
人間の能力というものは、簡単には決めがたい。
そういう自分の適応性の検討というものは、人生にとって非常に大切なことでございます。慎重にやって欲しいものです。
しかしごく簡単に言うならば「好きこそものの上手なれ」です。
適応性というのは簡単に言うならば、好きな方向へ行くことであります。



皆さんに限界まで努力して欲しい。その方法を私の経験から言いますと、習ったことに疑問点をなくしておくことですね。それから、なるべく宙で覚えておくことですね。平生、暇さえあれば覚えておくことですね。
工夫して、理解して、疑問点をなくして、宙でおぼえていくこと学習効果を向上さすことです。



義侠心は学校の成績には出ませんが、こういうものも人生を渡っていくのに大切なことですね。



どうか皆さんには「学術」の成った人になるようにしていただきたい、「学術」成った上に大切なのは「健康」なんですね。
皆さんも精神の錬磨、身体の錬磨ということをいつも考えてなければいけませんね、それから、バランスある栄養を取らんといけませんね。



自分の適応性をフルに発揮して、社会のために尽くし、さらには世界平和に貢献できたら、この世に生まれた価値があったというものです。



格物致知の語源
大学第一章第三節
二 古之欲明明徳於天下者、先治其国、欲治其国者、先斉其家、欲斉其家者、先脩其身、欲脩其身者、先正其心、欲正其心者、先誠其意、欲誠其意者、先致其知、致知在格物、物格而后知至、知至而后意誠、意誠而后心正、心正而后身脩、身脩而后家斉、家斉而后国治、国治而后天下平、
『古の明徳を天下に明らかにせんと欲する者は、先ずその国を治む。その国を治めんと欲する者は、先ずその家を斉う。その家を斉えんと欲する者は、まずその身を修む。その身を修めんと欲する者は、まずその心を正す。その心を正さんと欲する者は、先ずその意を誠にす。その意を誠にせんと欲する者は、まずその知を致す。知を致すは物に格るにあり。
物格りて后に知至る。知至りて后に意誠なり。意誠にして后に心正し。心正しくして后に身修まる。身修まりて后に家斉う。家斉いて后に国治まる。国治まりて后に天下平なり。』